三菱重工業が国産ジェット機の開発失敗した理由
三菱重工業が開発した国産ジェット機であるMRJ(Mitsubishi Regional Jet)は、多数の問題により失敗に終わりました。
以下では、その主な理由について説明します。
1)開発スケジュールとコスト
MRJの開発は、技術的な問題が多く、開発期間が長期化したことが最も大きな要因です。
MRJのエンジンやシステムには新しい技術が多数採用されており、初期の設計段階で多くの問題が発生しました。
このため、開発スケジュールが大幅に遅れ、最終的には計画よりも5年以上も遅れることになりました。
さらに、開発コストも大幅に膨張し、最初の見積もりの2倍以上になりました。
開発費用の増大により、三菱重工業は新たな出資者を募ることができず、自社の資金で開発を進めることになったため、開発に多大な負担がかかりました。
2)生産と供給
MRJの生産には多数のサプライヤーが参加し、その多くが日本国外にあったため、部品調達が困難でした。
また、三菱重工業は、初期の生産段階で品質の問題が発生し、サプライヤーの間でコミュニケーション不足が生じたことも影響していました。
これらの問題が積み重なり、MRJの初期生産ラインは生産目標を達成できなかったため、商用運用開始が遅れました。
3)競合と市場の変化
MRJの開発は、市場環境の変化や競合他社との競争に対応できなかったことが、失敗につながった原因の1つです。
当初、MRJは70〜90席の市場ニーズに対応することを目的としていましたが、競合する航空機メーカーが既にこの市場に参入しており、MRJはこの分野での競争に負けてしまいました。
また、当初想定していた市場ニーズが変化し、MRJの需要が限定的になったため、販売目標を達成することができなかったのが大きな原因だと判断されています。
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