アントニオ猪木が自宅で死去!燃える闘魂の政治活動、北朝鮮通の功績は偉大
元プロレスラーで、参議院議員2期務めたアントニオ猪木(本名・猪木寛至=いのきかんじ)氏が2022年10月1日、自宅で亡くなりました。
79歳、横浜市出身、難病「全身性アミロイドーシス」で闘病中でした。
ご冥福をお祈り申し上げます。
亡くなった数日前から低血糖で体調を崩し、自宅での療養生活となり、前日持ち直したが、病状が悪化し自宅で息を引き取った。
1943年(昭和18年)生まれ。5歳で父親を亡くし、13歳で家族とともにブラジルへ渡り、コーヒー農場などで働く。
現地の陸上競技大会の砲丸投げで優勝した際、ブラジル遠征中だった力道山さんにスカウトされ日本プロレス入りした。
1960年9月30日、プロ野球からプロレスに転向したジャイアント馬場さんと同日デビューを果たし、1962年からリングネーム「アントニオ猪木」を名乗る。
米国への武者修行、日本プロレスからの離脱、復帰、追放を経て、1972年に新日本プロレスを立ち上げ、プロレス全盛時代を築いた。
1976年6月のボクシングの世界ヘビー級王者モハメド・アリとの「異種格闘技戦」が話題になり、世界中にテレビ中継された。
政治家としては1989年「スポーツ平和党」を立ち上げ、「国会に卍固め」、「消費税に延髄斬り」で世論に訴えた。
このようなキャッチフレーズが注目を得ながら、同年の第15回参議院選挙に比例区から出馬し初当選し、史上初のレスラー出身の国会議員となった。
平成元年の参院選比例区では、政党名しか書けない厳正拘束名簿方式でありながら、100万票を超えるほど獲得するの人気で当選した。
また、2013年も維新から比例で出馬し、35万票以上を獲得した。
全国的な知名度を獲得票につなげる実力には長けていた。
国会議員として輝かしい実績は北朝鮮訪問です。
2013年に当選して議員就任前という時期に狙ったかのように北朝鮮訪問を実現させて、金永南氏と会談しました。
行動派の議員という特徴を早くも印象に残した。
さらに、北朝鮮の渡航届が容認されていないにもかかわらず北朝鮮訪問し、国会の懲罰委員会で登院停止などの処分をうけた。
それにもめげずに、不定期とはいえ、北朝鮮訪問を続けてしました。
賛否両論の評価があるにせよ、多くの国会議員たちと比べると、猪木氏は圧倒的な北朝鮮に精通した地位を獲得していたのは間違いないでしょう。
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