キング・ペレ死去!3回W杯優勝、大臣経験など世界で活躍の背景
サッカー史上最高の選手、3度のW杯(World Cup)制覇を誇る元ブラジル代表レジェンド、ペレ(Pele)氏が2022年12月29日、82歳で死去したと家族が発表しました。
ペレ氏は、がん進行、腎臓と心臓の問題の悪化により、11月末からサンパウロ(Sao Paulo)市内の病院に入院していた。
娘のケリー(Kely Nascimento)さんはインスタグラムへの投稿で、亡き父へのメッセージとして「私たちは全身全霊を込めて感謝し、際限なく愛しています。安らかに眠れますように」と書き込んだ。
ブラジルでは悲しみに包まれ、ブラジル国内の全チャンネルではペレ氏の死去の報道が続いていました。
ブラジルの現代史を語る上でもひときわ欠かせない人物なのは確かでしょう。
”Pelé Eterno(ペレよ、永遠に)“、”Rei 10 Eterno(キング10よ、永遠に)“などのタイトルで特集番組で偉業と功績を讃えていました。
ジーコやロナウドなど、偉大なサッカー選手のコメントはもちろんですが、ボルソナロ大統領、ルーラ次期大統領などの政治家などからも哀しみのコメントが寄せられて紹介されています。
ギネス登録されている記録によると、生涯で1363試合に出場し1283点、1試合平均0.94点というスゴい得点能力は、昔も今もペレ氏を超えるサッカー選手は出現するとは考えにくいでしょう。
1958年から70年のWカップで4回中3回を制することになります。
その主力であり続けたペレが通算1000得点という前人未踏の記録を達成しようとしていた1960年代末には、サッカー放送を見たいという中間層以上の国民がテレビを購入します。
政府はサッカーくじなども解禁します。
この頃のブラジル経済は年間のGDP成長率が二桁となるなど高度成長期でした。
「ブラジルの奇跡」として世界的にも注目されていた時期です。
ペレ氏は引退後には、FIFAやUNICEFなどの国際機関で親善大使などを長く勤めていました。
ブラジル初の黒人閣僚としてスポーツ大臣を務めたり、政財界にも太いパイプを築いていました。
シルベスター・スタローン主演の映画「勝利への脱出」で俳優デビューしたのが話題になりました。
おそらく、ブラジル人はもちろんですが、世界各国の人々から愛された人物像であったと言えます。
日本ではそれほど認知されていませんが、ペレ氏の現在の妻は25歳年下のマルシア・アオキさんで日系ブラジル人です。
そのこともあってペレ氏は日本に深い想いと関心を抱いたようです。
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