ワンカップ大関の誕生秘話!50年以上ロングセラーの秘密と評判
日本酒メーカーの大関は創業300年を超える老舗ブランドです。
看板商品「ワンカップ大関」は、日本酒をコップのまま販売した初めての商品です。
兵庫県神戸市と西宮市の沿岸部、灘五郷とよばれ、歴史ある日本酒の酒蔵が今も軒を連ねている。
「ワンカップ大関」で知られる大関も、この地で長年酒造りを手掛けてきた日本酒メーカーの一つです。
発売当初、若者から高い支持を集めて50年を超えるロングセラー商品となった。
最近ではラベル版の他にカップに直接デザイン入ってたりして、見た目も華やかなのもワンカップもあってオシャレです。
しかし、歴史とともに顧客の年齢層は上がっていった。
若者のアルコール離れが声高になっている最中、老舗企業はどうなっていくのか注目されています。
■東京オリンピック開催の年に発売「ワンカップ大関」
ワンカップ大関が発売されたのは東京オリンピックが開催された1964年です。
50年を超えるロングセラー商品となったが、ワンカップ大関はロングセラー商品ならではの悩みに直面している。
顧客の年齢層が上がる一方で、新たな顧客層の獲得が大きな課題となっている。
現在の取り組みに焦点を当てる前に、そもそもワンカップ大関がどのように誕生したのかを見ていこう。
その背景には当時の日本の食卓に起こっていたある変化が影響している。
特に、その頃の若者はビールなどを飲んでいました。ワンカップ大関の開発は、こうした若者の需要を開拓することを目指して進められたという。
当時の日本酒の飲み方といえば、一升瓶からとっくり(徳利)に酒を移し替え、杯で飲むのが常識だった。
そんなご時世だった最中、場所を選ばず気軽に日本酒を飲めるよう工夫し、コンパクトなコップ形の容器で販売した。
しかし、発売直後から爆発的ヒット商品にはならなかった。実際は苦しい売り上げ低迷を経験していた。
最初はお酒が漏れるなどのトラブルもあったようで、容器の品質も試行錯誤しながら改良を加えていたようです。
転機となったのは、駅の売店キヨスクでの取り扱い開始だった。
その当時起こっていたレジャーブームの追い風もあり、出掛ける先で飲みやすいワンカップ大関は狙い通り20~30代の若者から高い支持を集めた。
その後、酒販店の店頭などにワンカップ大関の自動販売機を設置する取り組みも奏功し、売り上げは右肩上がりに伸びた。
清酒の国内出荷量(課税移出数量)は73年度にピークに達したが、ワンカップ大関はその後も売り上げを伸ばし、売上本数は93年度に年間1億3000万本を記録した。
コンビニ売場の生存競争の中で、ワンカップ大関は定番商品として売場から消えることがない。
ワインや焼酎などの売場スペースは拡大しています。
ワンカップは、ミニサイズが定番です。
大関や黄桜の空きカップは、落としても中々割れない丈夫さと掌に収まるサイズと、飲み口の厚みが良いんです。
そんな中で、いいちこ・かのか・黒霧島などのミニサイズも取り扱われていて、おひとり様・女性向けが増えています。
巣ごもり需要とおうち時間が増えているコロナ禍で、評判高いおつまみに加えてワンカップ大関を嗜むだけでも絶品で美味しいです。
この記事へのコメントはこちら